苦しい! 苦しい! 苦しい!
ミカエラは、赤いネグリジェに包まれた細い体を絞り上げるようにしてベッドの上で身悶えていた。
動きに合わせて引き攣れる深紅のシーツの上を光沢がうねうねと這っていく。白過ぎる肌は血の気を無くし蝋のようだ。
彼女がのたうつたびに真っ黒な長い髪が深紅のシーツに散らばる。 いくつかの束に分かれて動く黒髪は、蝋燭の灯りに照らされて何匹ものヘビが絡み合っているようにも見えた。 骨と皮のような指が、喉を掻きむしる。 細すぎる首に爪の先が食い込んでいくのを、ベッドの脇に立つ侍女は冷たい瞳で見下ろしていた。「グッ……ゲホゲホ……ゲボッ」
「もう、汚いっ! いい加減、吐くかどうかくらい自分で分かるでしょ⁉ ちゃんとしてよねっ!」いかにも汚いモノを見るような表情を浮かべた侍女ルディアは、おう吐物にまみれたミカエラを憎々しげに睨む。
ルディアにしてみれば、侍女として仕える身であるとはいえ伯爵家の令嬢たる自分が汚物処理をしなければならないことに納得できていないのだ。 相手が王太子の婚約者であり、未来の王妃、国母になる女性であったとしても、それは変わらない。「ごっ……ごめんなさ……ゲボッ」
「あぁっ! またっ⁉」ミカエラがおう吐し、深紅のシーツが汚物にまみれ汚れる。
血と消化途中の食べ物、胃の分泌液にまみれたおう吐物は、とんでもなく臭った。 豪奢な部屋の中に、おう吐物の臭いが充満していく。 侍女の顔は更に醜く歪み、眉間のシワは深くなった。「グッ……ぁあ……ゲホゲホ……」
細い体をのたうち回らせて苦しむミカエラに寄り添う者は、そこに居ない。
王宮内に用意された未来の王妃の部屋だというのに、華やかさはトゲトゲしさに化けるばかりで安寧を感じるには程遠い場所となっていた。「苦しそうにしてたって、朝にはケロッと治っちゃうんだから。ホント便利な体よね」
「ゲボッ」 「だからっ。汚さないでって!」イライラとした声を出す侍女の隣で、白衣を着た老人は溜息を吐く。
「いつもの事だ。ルディア。キミも少しは慣れておきなさい」
「嫌なことを言わないで下さいよ、先生」ルディアは眉根を寄せて顔をしかめた。
「王太子は狙われるものだ。王になればなおのこと。減ることはない。その被害を身代わりに引き受けるミカエラさまの体調が整う日など来ないよ」
「あぁ……そうですよね」ルディアはハッとした表情を浮かべた。
「今夜のような事は何度でも起きる。昼夜を問わずね」
「はぁ~……」ルディアは溜息を吐きながら頭を抱える。
そして医師の様子に気付いて頭を下げた。「あ。すみません。先生のせいではないのに」
「気にするな。キミの気持ちも分かるよ。一応、薬は置いていくが……必要ないだろう。また明日の朝に来るよ」 「分かりました。ありがとうございました、先生」 「おやすみ、ルディア」 「おやすみなさい、先生」医師はミカエラの生存を確認すると、おざなりの処方薬を残して帰って行った。
「あぁっ!」
「もうっ。うるさいっ」苦痛にうめくミカエラへ向かって侍女は冷たく言い放った。
この部屋は、ミカエラの部屋だ。
ミカエラは未来の王妃となる立場であり、現在は王太子の婚約者である。 だが伯爵令嬢でもある彼女に寄り添い気遣ってくれる人物は、誰一人としていない。「いくら秘密にしなきゃならないからって。なぜ私がこんな目に? ホント、損な役回りだわ」
侍女はブツブツ言いながら、おう吐物の処理を始めた。
ミカエラ・ラングヒル伯爵令嬢は18歳。
王太子であるアイゼルの婚約者である。 身長165センチでやせ型。 黒い髪に黒い瞳。 唇は血の気の薄いピンク色。 特別美しいわけでもなく、後ろ盾がしっかりしているわけでもない伯爵令嬢が、王太子の婚約者なのには理由がある。ミカエラは『愛する人を守る』と、いう異能を持っているのだ。
愛する人を守るといっても、攻撃を受けてすぐに跳ね返すような類のものではない。
もっとひっそりと裏で支えるような形の能力だ。 彼女は異能によって、相手が受けた傷や盛られた毒物の効果などの危害を肩代わりすることができる。その能力は、『愛する人』だけに対応する限定的なものだ。
今現在、ミカエラが『愛する人』は婚約者である王太子アイゼル、ただ一人。
そのため、アイゼルが刃に襲われようと、毒を盛られようと、倒れるのは彼ではない。 ミカエラだ。 彼女がアイゼルに向けられた危害を肩代わりすることで、王太子は守られている。 ミカエラが苦しんでいるということは、王太子が何者かにより狙われたことを意味していた。 その犯人を捜すことに真剣な者はいても、彼女の体を気に掛ける者はいない。 ミカエラの異能は、自らの体に被害を引き受けて王太子を守るだけではないからだ。身代わりとなったミカエラ自身は、高い治癒能力により死ぬことはない。
ミカエラの異能を知っている者は皆、治癒能力のことも知っている。
だから誰も彼女の心配はしない。 彼女には高い治癒能力があるだけで、痛みを軽減する力はないというのに。 身代わりとなったミカエラは壮絶な痛みを引き受けてもがき苦しむ事となる。 だが死ぬ心配のない彼女を気に掛ける者はいなかった。彼女の持つ異能は秘密とされていて、一部の者しか知らない。
そのため侍女であるルディアが、苦しみ悶えるミカエラの世話を一手に引き受けなくてはならなかった。 他にも知っている者はいるが、その中に女性は少ない。異能の秘密を守るためには、それを知る女性を限定したほうが良いと考えたからだ。
そのため王太子の婚約者であるにも関わらず、ミカエラの側に控え仕える者は少ない。 必然的に、女性であるルディアが果たす役割は大きくなっていた。 だからといって、それに見合った報酬が彼女に用意されているかどうかは疑問である。 この国で女性の地位は高くない。 ルディアに用意されている報酬は、将来、王妃の侍女として仕えることである。 彼女への報酬はそれで十分だと、この国の男性たちは考えているのだ。それと同様のことが、ミカエラについても言える。
王太子は常に狙われる立場であり、危害を与えようとする者は多い。
それを肩代わりし続けるミカエラが受けるダメージも少なくはないのだ。 だがそれに対して何か与えねばと考える男性などいない。 彼女がダメージを受け続けることは異能を持つ者としての責務だと、この国の男性たちは考えていた。 そして報酬は王太子の婚約者ということで十分だと考えているのだ。 未来の王妃になれること、国母になれることは報酬であり、むしろ贅沢過ぎると考えられていた。ミカエラが王妃になれる時まで生き長らえる保証など、どこにもないのに。
ましてやミカエラの痛みを軽くしてあげよう、などと考える者は誰もいない。この国、イグムハット王国におけるミカエラの待遇は、恵まれたものではなかった。
ミカエラが王宮に住んでいるのは、異能を秘密にするためだけが目的ではない。 もちろん彼女に贅沢をさせるためでもなかった。 王妃教育を受けさせるためだ。 教育は厳しく、それだけでもミカエラの精神を削っていった。 王宮のなかに彼女が安らげる場所などない。 王妃教育だけでなく異能によるダメージを頻繁に受け続けているミカエラには、体はもちろん気の休まる暇もなかった。周囲からは美しい王宮で贅沢な恵まれた暮らしをしていると思われてはいるが、ミカエラ自身がそう感じたことはない。
彼女が此処でいつも感じているのは苦痛。 苦しい! 苦しい! 苦しい!痛い! 痛い! 痛い!
頭にあるのも、体にあるのも、心にあるのも、苦痛。
彼女の苦しみを癒す者も、癒す場所も、ここには存在しなかった。 そんなミカエラが、こう思うのは必然。(わたくしはなぜ、こんなにも苦しまなければならないの⁉ この苦痛は、いつまで続くの⁉ 逃げたいわ! こんな所に居たくないっ!)
ミカエラが心の中でいくら叫ぼうとも。
その疑問に答えてくれる者も、希望を叶えてくれる者も、ここには存在しないのであった。「レイチェル! ポワゾン伯爵令嬢、来ていたんだね」 ミカエラに背を向けたアイゼルの青い瞳がとらえたのは、お気に入りのご令嬢だ。「はい。ご機嫌麗しゅうございます、王太子殿下」(今日も綺麗ね、ポワゾン伯爵令嬢は。双子だけあって、お兄さまであるイエガーさまとそっくり) ミカエラはポワゾン伯爵令嬢を眺めながら思う。「今夜は疲れたよ。付き合ってくれないか」「はい」 王太子はポワゾン伯爵令嬢の手を取って、ミカエラを振り返ることなく何処かへ行ってしまった。 令嬢たちは嬉しそうにさざめく。 「やはり、王太子殿下はポワゾン伯爵令嬢のことがお気に入りね」「おかしいと思ったのよ。ミカエラさまと踊るなんて」 令嬢たちのクスクスという笑い声が、ミカエラの心に刺さる。(わたくしが一番、分かっていることよ) ミカエラの様子を楽しみながら、令嬢たちは忙しく囁き合う。「ミカエラさまから何か交換条件でも出されたのではないの?」「そうよね。ミカエラさまは、策士だもの」「何か悪い事を企んだのではないのかしら?」「あらあら。王太子殿下とダンスすることが悪巧み?」「いえいえ。悪巧みをやめる条件が王太子殿下とのダンスだったのよ」 囁きは広い会場にあっても、ミカエラの耳に奇妙なほど届く。「まぁ、怖ろしい。どんな悪い事を考えたのかしら?」「さぁ? 私たちには考えも付かないような『何か』よ」「どんな事かしら?」「考えても無理よ。きっと貴女には思い浮かびもしないことだから」「そうよね、ミカエラさまは悪女でいらっしゃるから」「うふふ。悪役令嬢ですものね」「そうよ。ふふふ」 やっぱりね、とばかりに令嬢たちはクスクスと嘲笑している。 ミカエラの背後に控えていた侍女も溜息を吐いて言う。「ミカエラさま。もう下がってしまって良いでしょうか?」「……ええ、いいわ」 ミカエラが許可を与えると、ルディアはそそくさと会場を後にしていった。 取り残されたミカエラに集まるのは、嘲笑と好奇の目。(耐えられない) なによりも耐え難いのは、期待してしまった自分。(なんて……惨めなのかしら……)「ミカエラさま。我が兄が不調法で申し訳ない」「……」 ミゼラルが話しかけてきた。 同情でもされたのだろう。 いつもなら、適当に返事をして合わせることができるけれど。 今夜
王城の大広間は、夜会のために華やかに飾り立てられていた。 もとより豪奢なつくりの大広間はピカピカに磨かれた大理石の床が広がっていて天井も高く開放的である。 豪華なシャンデリアの下がる天井は、人の手で作られたことが不思議なほど曲線が優美なレリーフや、彩も鮮やかな絵で飾られていて煌びやかだ。 広々としているはずの場所ではあるが、そこに集う人々も競うように艶やかな装いに身を包んでいるため少々息苦しく見える。 豪華に飾られていて貴族たちが顔を揃えている夜会の席に必要なものが全て整った万全のタイミングで入場することが許されているのは王族のみだ。 そのタイミングを待って王太子に手を取られ、颯爽と会場に入っていくミカエラの立場は羨望の的だ。 貴族たちの視線はアイゼルを称えるように見た後で、ミカエラへと向けられる。(わたくしの座を狙う者だらけね。わたくしは侮られているから……) 贅を尽くした会場は、ミカエラにとっては戦場だ。 いつもの赤いドレスであれば、貴族たちにとってミカエラは脅威ではない。 だが今宵は王太子から贈られた金色のドレスを身にまとっている。 明らかに様子の違うミカエラに、貴族たちはどよめいた。「あれは王太子殿下の色」「ミカエラさまといえば赤では?」「王太子殿下がドレスを贈られたのか?」 アイゼルにエスコートされたミカエラは、ふたり並んで大階段上に設えられた舞台から会場を見下ろす。 そして貴族たちに向かって見せつけるように、軽く頭を下げた。 体を震わせるような会場内のどよめきを感じながら、ミカエラは顔を上げた。(無理もないわね。隣には王太子。互いの色を取り入れた華やかな装い。こんな……婚約者であることを見せつけるような衣装をまとったことなどないもの) 令嬢たちに対して、これ以上の牽制など必要ないほどではなかろうか。「やはり、王太子殿下の婚約者はミカエラさまですわ」 侍女ルディアは後ろから付き従いながら満足気に呟く。(これで少しは、私の扱いも変わるかしらね) ミカエラはそんな風に思いながら、アイゼルに手を取られて、ゆっくりと大階段を降りていった。 正面を見据える彼女の視線に迷いはない。 「どういうことかしら?」「王太子殿下の愛は、レイチェル・ポワゾン伯爵令嬢に与えられているのではなかったの?」「見て、あのドレス。
ミカエラがアイゼルにエスコートされるのは初めてのことではない。 だが部屋まで来てくれたのは初めてのことだ。(やっぱり素敵……) 夜会のために華やかな衣装を身に着けたアイゼルを見上げると、彼は整った顔に甘い笑顔を浮かべてミカエラを見ていた。 贈られた白薔薇越しの王太子は、魅力的で麗しい。 ミカエラは両手を胸の前で組み、思わずため息を吐いた。(気のせいかしら? アイゼルさまの目には、義務ではない愛情がこもっているように見えるわ) 他の令嬢にも平気で甘い笑みを向ける愛しくも憎い婚約者の目が、今は自分だけに向けられている。 ミカエラはうっとりとした表情を浮かべて彼を見つめた。(わたくしの王子さま。わたくしの愛する人。わたくしはアイゼルさまのことが好き。期待を幾度となく裏切られても……やはり期待してしまうの。好意を返されることを) アイゼルは今日も王太子として相応しい装いに身を固めていた。 青と黒の幾何学模様が埋め尽くす生地を使った上着には、たっぷりと金刺繍が施されていている。 白いブラウスの首もとに白レースのクラバットが美しく巻かれ、スッと伸びた長い足には黒のトラウザーズをまとっている。 ミカエラに贈られたドレスと揃えて作った衣装のようだ。(私の……色) 黒のトラウザーズは一般的なものだ。 だがその黒に意味を見出すなというのは、今のミカエラには無理な話である。 ミカエラは甘い予感に酔っていた。「さぁ、行こうか。ミカエラ」「はい」 アイゼルが差し出した左手に、ミカエラは自分の右手を重ねた。 その手をアイゼルが自分の左腕に重ねるのを見ながら、ミカエラは彼の隣に立つ。 ミカエラはアイゼルの笑顔に促されて、夜会会場を目指して廊下へと歩みを進めた。 大広間へと続く廊下は、大広間に近付くにつれて豪奢になっていく。 ピカピカに磨かれた大理石の床の両脇には太い柱が並ぶ。 大広間へと近付くにつれ柱への細工が細かく立体的になっていき、次に変わってくるのが窓の細工だ。 レリーフや色彩鮮やかな絵の描かれた壁に、天井から下がる豪華なシャンデリア。 赤い絨毯の敷かれた床が現れれば、天井もレリーフや天井画で華やかに飾られている。 だがどれもミカエラの興味をひくことはできない。(アイゼルさまの輝きを超えるものなど、この世にはないわ) ミカエラ
その日はやってきた。「お綺麗ですよ、ミカエラさま」「ありがとう、ルディア」 笑顔で軽く頭を下げながら反応するミカエラに、侍女は満足げな笑みを浮かべて鏡越しに頭を下げた。 ルディアが陣頭指揮をとって何人ものメイドを動員して身支度を整えたミカエラは、文句のつけようもなく美しい。「王太子殿下さまから贈られたドレスは、本当にミカエラさまのためのドレスですね。とてもお似合いです」 ルディアはうっとりと溜息を吐いた。 アイゼルの王太子の金髪を思わせる金色のドレスは、ミカエラの華奢な体を活かすデザインだ。 細身の体の場合、ボリュームが足りなくなって華やかさに欠けてしまうデザインになりがちだが、このドレスは違う。 軽やかなチュールレースも多用したボリューム満点のデザインが、ミカエラの体の欠点を補っていた。 胸元には同じく贈られた豪華なネックレスが輝いている。 大ぶりのダイヤモンドがはまったゴールドのネックレスは、黒地に金の薔薇模様の刺繍が施されたレースへと繋がっていくようなデザインで幻想的だ。「結い上げても素敵ですけれど……これだけ立派なネックレスなら、この先何度でも出番があるでしょう。ハーフアップの若々しい髪型に合わせられるのは、ご結婚前の今しか出来ないかもしれませんね」 侍女の揶揄うような口調に、ミカエラは頬を赤く染めた。「それにこのイヤリング。大ぶりのダイヤモンドがハーフアップでもこんなに映えるのですから、髪を結い上げて耳がスッキリと見えるようにしたらどれだけ美しく見えるか。アップスタイルで付けられる日も楽しみですわ」 ルディアはイヤリングの位置を調整しながら未来を夢見るように語っている。「ふふ。贈られたアクセサリーの中には髪飾りはありませんでしたが。これだけ大ぶりのイヤリングなら、髪をアップにしてティアラを付けたら充分ですもの」 侍女がはしゃぐよう素振りを見せながらドレスの最終調整に入った。 パタパタとレースやフリルを整える気配を感じながらミカエラは思う。(ティアラを付ける……そんな日は、本当にくるのかしら?) 鏡のなかに映るミカエラの姿は完璧だ。 ハーフアップにされた黒髪。 縦ロールは黒髪の艶やかさをより際立たせていた。 ふんわりと整えられた前髪。 白い肌に施されたメイクは華やかで、眉は綺麗な弓形を描き、口元はぷっくりと
ミゼラルと共に神殿へ向かうのも、ミカエラの朝の日課となった。 神殿への道は開かれていて、誰でも向かうことができる。 護衛を引き連れたミカエラと、護衛を引き連れたミゼラルは、安全のアイコンだ。 防犯上のメリットもある。 だからどこからともなく貴族たちは湧いてきて2人の後に続いた。 そして2人の会話を聞こうと耳を澄ます。「ミカエラさま。今朝もご一緒できて楽しかったです」「ありがとうございました、ミゼラルさま」 一緒に神殿へ行った2人は、神殿へとつながる長い階段の上でいつも通り別れの挨拶を交わす。 だが今朝は少しだけ続きがあった。「あ……ミカエラさま」 踵を返しかけたミゼラルがミカエラに向き直り、改まった様子で話しかける。「夜会へは行かれるのですよね?」「はい」「よろしければ、僕にエスコートをさせていただけませんか?」 ミゼラルは紳士的に申し出た。「いえ……アイゼルさまに誘われておりますので……」 ミカエラが語尾を濁しつつも断ると、ミゼラルは驚いたように一瞬だけ目を見張った。(アイゼルさまにエスコートしていただけるというウキウキした気分に、さっそく水を差されてしまったわ。やはりアイゼルさまは、外聞を考えてエスコートを申し出たのね)「そうですか。それは残念……いえ、ミカエラさまにとっては喜ばしいことですね」 ミカエラは目の前にいるミゼラルを見上げた。 黒い髪に赤い瞳をした恵まれた体格の若者は、恵まれた立場にいるとはいえない。 (立場でいえば、わたくしとミゼラルさまは似ているのかもしれない。ミゼラルさまも魅力的だし、似た者同士で気の合うところもあるかもしれないけれど、わたくしが好きなのはアイゼルさま。わたくしの異能は、あの方にしか発現しない) 恵まれない立場なら、せめて心は自由でいたい。 嘘と策略にまみれながらも自由でいたい。 思うようにならない人生ならば、一矢報いたい。(ミゼラルさまへ心変わりすれば、一矢報いることになるかもしれないけれど……わたくしには、それすら出来ないの) ミカエラは淡く自分を嗤った。 ミゼラルは引き時を心得ていて、笑みと共に別れの言葉を告げる。「では僕は鍛錬場へ行きますので、ここで」「はい。お気をつけて」 ミカエラは去っていくミゼラルの後ろ姿を見送った。(アイゼルさまは、わたくしの異
最近のミカエラの朝は贈り物から始まる。 それは変わりないが、その日はいつもとは違った。 テーブルの上はいつものように朝露のついた白薔薇が1本、置かれていた。 ミカエラは輝くような笑顔で白薔薇を手に取ると新鮮な白薔薇の香りを嗅ぐ。 そして何気なく視線をやった先にリボンの掛けられた箱を見つけた。 金色のリボンはもちろん、赤いベルベットを張った箱は高級感がある。 この国では包装は中身に見合ったものが選ばれるため、ミカエラは驚きに目を見張った。「これは?」「今朝、レクターさまが白薔薇と共に届けてくださいました。王太子殿下の贈り物ですよ。どんなに素敵な物が入っているか楽しみですね」「そうね」 ウキウキしている侍女の期待に満ちた視線を浴びながら、ミカエラはさっそくリボンを解いた。 リボンの豪華さはもちろん箱に張ってある赤いベルベット生地の肌触りもよい。(上質なものだわ。まるでいなかったかのような扱いの今までとは大違い。アイゼルさまってば、どうなさったのかしら) ミカエラは高鳴る胸の鼓動を感じつつ、箱を開けた。「まあっ!」 ミカエラの後ろから覗いていた侍女が声を上げて息を呑んだ。 箱の中には、大ぶりのダイヤモンドを使った金のネックレスが入っていた。 お揃いのイヤリングに下がるダイヤモンドもかなり大ぶりだ。 (なんて豪華なの) ミカエラも目を見開いて息を呑む。 先に口を開いたのは侍女のほうだ。「あら、このデザイン……ドレスとお揃いですわ」 アクセサリーの地金に施されたデザインは、ドレスに使われたレースと繋がるようなデザインになっていた。「なんて素敵な! 夜会の時に使うアクセサリーはこちらに変更ですね、ミカエラさま」「えっ? ……えぇ、そうね」「夜会の日が楽しみですねぇ。今日のカード素敵ですよ。そちらへ置いてございます」 ミカエラは侍女に促されてカードを手に取った。 「あら? 夜会の当日はエスコートしてくださるそうよ」「いやですわ、ミカエラさま。婚約者がエスコートしてくださるのは、当たり前のことではありませんか」 ミカエラは戸惑ったような表情を浮かべて侍女を見る。「いえ。そうではなくて……部屋まで迎えにきてくださるみたい」「えっ⁉ それは初めての事ではありませんか⁉」 驚く侍女に、ミカエラは苦く笑って頷いた。